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アートの委託販売と契約書

by 弁護士 木村 剛大/Kodai Kimura

2017年3月30日

契約書はお好きでしょうか?おそらく答えはノーでしょう。読んで面白いものではないですし、できれば触れたくないかもしれません。ですが、当事者の頭の中を見える化し、共通認識を持ってビジネスを進めるためには大切なツールです。実際に争いごとが起こってしまったときに、助けてくれるのは契約書なのです。それはアート・ビジネスでも同じ。ニューヨークでの裁判をご紹介しましょう。※1

隠れた取引

ソニー・アメリカの前社長マイケル・シュルホフがアート・アドバイザーのリサ・ジェイコブスにジャン=ミシェル・バスキア(→Artsy Jean-Michel Basquiat page)の「Future Sciences Versus the Man」の販売を委託し、2011年10月25日に契約書を結びました。ジェイコブスは、亡くなったシュルホフの両親のアートコレクションであるシュルホフ・コレクションに関して10年以上にわたりアドバイスをしてきたアート・アドバイザーです。

ジャン=ミシェル・バスキア「Future Sciences Versus the Man」(1983)
出典:artnet news「Art Adviser Ordered to Return $1 Million in ‘Secret Profits’ From Basquiat Sale

この契約では、最低販売額は600万ドルで、5万ドルが手数料としてジェイコブスの利益になるとされていました。また、契約には、ジェイコブスは「購入者からいかなる料金も受け取らない」という条項と600万ドルよりも低い金額を委託者の書面による許諾を得ないで提示しないという条項も含まれていました。

買手はすぐに見つかります。11月1日、ジェイコブスは、アート・ディーラーのエイミー・ウルフに会い、650万ドルという価格を提示すると、その翌日にウルフはすぐに作品を購入すると合意したのです。

ここまでは何もおかしくありません。ジェイコブスは契約の内容どおり仕事をしているように見えます。

しかし、ここからが問題。11 月5日にジェイコブスはシュルホフに購入希望者が現れたと伝え、11月7日には「最大550万ドルまで購入者を引き上げることができた」とEメールで報告したのです。あれ、650万ドルでウルフは合意したはずですよね。550万ドルではありません。しかし、この報告を受けて、シュルホフは550万ドルでの作品売却を承認します。

ジェイコブスは、購入者が匿名を希望しているといい、2段階の取引にしたいとシュルホフに申し出ます。まず、545万ドルでシュルホフがジェイコブスに作品を売却し、続いてジェイコブスがウルフに対して550万ドルで売却するというものです。転売によりはじめに合意した手数料5万ドルがジェイコブスに入るというわけです。

その後、11月11日にジェイコブスはウルフと売買契約書を結びます。しかし、もちろん作品の売却価格は650万ドルです。ジェイコブスはウルフから650万ドルを受け取った後、11月16日に545万ドルをシュルホフに送金しました。このようにして、ジェイコブスは100万ドルの利益を密かに得ていたのです。

約1年後に全く別件のシュルホフ・コレクションからの窃盗事件に関連して検察庁がジェイコブスの銀行口座を調査したところ、ジェイコブスが実は650万ドルで作品を売却していたことをシュルホフが知り、裁判になります。シュルホフの請求は詐欺と契約違反です。

これに対して、ジェイコブスは、シュルホフと契約するよりも前に、シュルホフの母親との間で購入者からも手数料を得られる内容の契約が別にあったのだ、と反論しましたが証拠はなく、裁判所はシュルホフの請求をいずれも認めています。

シュルオフとしては契約書があったからよかった。逆に、ジェイコブスの反論が本当であったかは分かりませんが、書面で証拠が残っていなかったため、裁判所は認めませんでした。

詐欺とまでいかなくても、委託販売に関する紛争はかなり多いです。特に口約束であったり、契約書があっても内容が十分に検討されていなかったりするケースが目立ちます。

「委託販売」の意味

そもそも、「委託販売」について少し説明したいと思います。仲介者が入る取引には大きく2とおりの手法があります。①買取方式と②委託販売です。いずれの方法でも作品が仲介者であるディーラーの下にあり、ディーラーは購入者を探して作品を売却することで利益を得ます。

委託販売というのは、委託者の利益のために受託者の名義で第三者に販売して、利益を得る形態の取引をいいます。委託販売で第三者との間で義務を負うのは、委託者ではなく、受託者です。

法律上は、委託販売を行うディーラーは、商法上の「問屋」にあたり、委託者とディーラーとの間では民法の委任と代理の規定が準用されます。※2

アートの委託販売に特徴的な点として、ディーラーが売主である委託者からのみならず、買主からも手数料を得るというのが実務的に珍しくないことがあげられます。シュルホフの事件では、これを防止するための「購入者からいかなる料金も受け取らない」という条項が契約に入っていました。

これは、本来ディーラーは委託者の利益のためになるべく高い価格で作品を売るべきなのに、買主から作品の買入れも引き受けてしまうと、買主の利益のためにはなるべく安い価格で買入れたほうがよいことになって、関係者の利害が対立してしまうためです。

法律上もこのような双方代理は、本人の許諾がない限り原則として禁止されています。※3 ディーラーと買主となるコレクターや他のディーラーとの関係が強固なこともあり、すべて禁止すべきとまではいえませんが、ディーラーは必ず情報開示し、買主からも買入れの委託を受けることについて売主から許諾を得なければなりません。

委託販売の場合、作品が物理的にディーラーに移動していても、作品の所有権は委託者に残ったままです。これに対して、買取方式の場合は、作品の所有権もディーラーに移転しています。

実際には、委託販売であっても、受託者のギャラリーから委託者のアーティストに対して前払いで制作費などが支払われることもあり、買取方式と委託販売は、実は契約書がないと当事者がどちらの方法で取引するつもりだったのか分かりにくいのです。その結果、委託者としては作品の所有権が自分にあると思っていたものが、実はディーラーに移転していた、ディーラーとしては作品を買い取ったと思っていたのに契約終了後に委託者から作品の引き渡しを求められたということが起こりえます。

週間ダイヤモンドの2017年4月1日号に「美術とおカネ 全解剖」という特集が組まれています。

132ページには「預かった作品を勝手に売却 悪徳美術商のあきれた手口」というコラムが掲載されており、口約束で進めてアーティストがギャラリーに預けた作品を返還してくれないというトラブルになったケースが紹介されています。もうひとつ、ここでは日本の裁判をご紹介しましょう。※4

引き渡した絵画はどちらの物?

当事者は日本画家と東京のギャラリーです。画家は1984年からギャラリーとの間で期間1年、画家の作品、著作物の販売、版権使用、プロモートに関して委託するという契約書を交わしていて、2011年まで同じ契約を毎年締結して更新していました。

この1984年の契約では、画家がギャラリーに対して1年間に最低30点の作品を提供することとされ、ギャラリーは1年間の契約料1800万円を保証し、毎月150万円を支払っていました。その後、毎年契約が締結され、契約料も上がりギャラリーの支払額は1990年2月から2011年4月までに合計で7億9622万3000円に上っています。

ギャラリーは2011年4月で画家に対する支払いを打ち切ったため、画家はギャラリーに対して制作の都度引き渡していた絵画の返還を求めました。そこで、画家が引き渡した絵画の所有権がギャラリーに移転していたのかが争点となったのです。ギャラリーによる支払いは非常に高額ですが、この年間契約料が何を意味するのかが問題になりました。

裁判所は、契約書で画家の絵画の販売業務を委託していて、提供する絵画の点数が年間30点とされていること、実際に画家は制作した絵画をすべて引き渡していることなどから、画家の制作した絵画の委託販売であったと判断しています。

もっとも、ギャラリーの支払い額が非常に多額であること、画家自身も販売を了承した絵画の代金について逐一代金を清算しておらず、年間契約料のなかに販売代金としての趣旨も含まれていたと述べていたことから、裁判所は画家の絵画の所有権をギャラリーに移転した上で包括的に販売をさせていたと認定しています。販売委託のためという趣旨からすると、絵画の取り戻しの余地はあるけれども、画家はギャラリーが支払った対価の清算をしなければならないと裁判所は結論付けました。

アート・ビジネスにおいても、口約束や不十分な契約書はトラブルの種なのです。くれぐれもご注意を。

※1 Schulhof v. Jacobs, 2017 N.Y. Misc. LEXIS 690 (N.Y. Sup. Ct. Feb. 27, 2017)
※2 商法551条(問屋とは自己の名において他人のために物品の販売又は買入れをすることを業とする者をいう)、552条2項。

※3 商法552条2項・民法108条。

※4 東京地判平成28年5月25日(平成26年(ワ)第18969号)